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■ぴーちのきながな毎日■


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天命を待つ??

2007.08.30(02:11) 168

月曜日に絶好調♪であちこちしていたら、夕方からだるくなって来た。いつものように、「ちょっと横になれば治るよ」っと夫に話して寝ていた。

ところが、1時間経っても良くならないどころか、だんだんボーっとして来たではないか…でも、買い物をして来たので夕御飯を作らなければっと、思いっきり頑張って、何とか作り終わって寝た。何て言うと、どんなご馳走かと思われるので、メニューは言わないでおこう(笑)。

だが次の日になって、激しい頭痛と肩こり、喉が変?だとくれば、風邪だ。今日の午後に、やっと動けるようになったが、その間寝ながらCDを聞いていた。
以前にも紹介した、ハワイ在住の牧師の中野雄一郎先生のメッセージ。その中で面白い話しを聞いたので紹介しようと思う。もっとも中野先生のメッセージは、ほとんど面白いので、笑わずには聞けない(笑)
ご自分で、コメディアンパスターとおっしゃっているが、パスターとは牧師と言う意味である。

サンフランシスコで出会ったクリスチャンの社長が、バブルが弾けて不景気になって来た。先生はすぐに社長の会社が左前になって来たのではないか分かった…不景気な顔をして、こう言ったそうだ。
「人事を尽くして、天命を待っても、駄目ですね~」
そこで中野先生は、すかさずこう言ったそうだ。
「社長!それは、おかしいんじゃないですか?クリスチャンは『人事を尽くして天命を待つ』のではなくて『天命に安んじて人事を尽くす』んじゃないですか?」
頭の良い社長は、すぐに意味を悟って「私はすでにイエスさまによって祝福されている」と信じて、一生懸命働いたところ、思わぬ注文が来たりして、1年後にはトヨタの高級車で、先生の前に現れたので、皆さんの前で体験を語ってもらったそうだ。

そこで私は夫に尋ねた。
「私は、天命に安んじても人事を尽くす力がないけど、どうしたら良いだろ??」すると夫は「天命に安んじて休んでいなさい」と。
私は、その言葉にとても感動して、更に夫のために祈って行こうと決意した。
そして、起き上がって買い物に行って、夕飯の用意などなどして、私なりに人事を尽くす事が出来るようにして下さった。

一生懸命働き、頑張ったからと言って必ず報われるとは限らない、この世の中で祝福を受けるには、イエスさまの恵みが必要だと思う。
なぜなら、私たちは髪の毛一本増やす事も、身長を1cm伸ばす事も出来ない者なのだから、イエスさまの恵みに満たされて導かれて、感謝して歩む時に、実際の目に見える祝福も与えられるように思う。
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■ぴーちのきながな毎日■


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平凡の中の非凡

2007.08.25(01:04) 167

先日の斐川礼拝も、母は参加した。母は、ペースメーカーを入れてからは、どことなく大人しい感じがする。
あれから毎週欠かさず、礼拝と斐川礼拝には出席している。理由については聞いた事はないが、思う所があるのだろう。

母は、今回の自分の病気の事もだが、この2年間の間に、周りに身近な大切な人を5、6人も失っている。複雑な気持ちもあるだろうと思う。

私は、ウチのばあちゃんもそうだが、両親も元気で長生きして欲しいと祈っている。
イエスさまを信じて、天国の喜びをいただきながら、長生きして欲しい。現にウチのおばあさんは、鬱病とパーキンソンだったが、どんどん元気になって、今は我が家で一番無邪気で明るく、毎日童謡を口づさんでいる。

私は今、こうして寝る前にゆっくりしながら、夫とアホな事を言ったり、真面目な話しに盛り上がったり、ばあちゃんの昔話を適当に聞いて、相づちうったり(ごめん!ばあちゃん)、心配して祈ってくれる友達がいたり、二人の子供たちに励まされたり、振り回されたり…している平凡な日々が、どんなに幸せな事なんだろうと思う。

こんな、平凡な家庭が今は少なく、お互いに欠点だらけであっても、この神さまを中心とする家族は、現代ではかなり「非凡」なのかも知れないと思った。

今は、息子がたまに教会に来る程度だが、自由意思を尊重しているので、彼には何も言わないで彼のために祈っている。この世界の喜びや楽しみはつかの間…若い日の輝きは一瞬の花火のようなものだと、彼が知る日まで…。
そして、イエスさまから見られたら彼には、もっともっと秘めたる能力があると信じている。

「わたし(イエスさま)は、かわいた地に水を注ぎ、
干からびた地に流れをそそぎ、
わが霊をあなたの子らにそそぎ、
わが恵みをあなたの子孫に与えるからである。(イザヤ44:3)」

■ぴーちのきながな毎日■


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苦しい時にも…

2007.08.23(01:50) 166

今日は、久しぶりに斐川礼拝があって、とても楽しかった(初めて読む人のために説明すると、我が家の事務所で簡単な教会の賛美とメッセージ…ほとんどお茶会?を月に二回させていただいている)。

前回は、私が岐阜に行っていたので中止になった…と言うか?私が勝手に日程を決めてしまったので、後で斐川礼拝予定だったと気付いた。と言う牧師泣かせの勝手なクリスチャンである。
でも、そんなトンチンカンなミスをしても(以前にも前科あり・苦笑)、おおらかに受け入れて下さる、大きな器の楫先生なので、本当に感謝している。

今日のメッセージ内容については■□風吹く街で。。。□■の方に詳しく書く事にしよう。

その前に、私は前々日からの不調によって、かなりウツ的になっていたので、斐川礼拝を予定通り出来るか?不安だった。
始めたら楽しいのは分かっていたが、それ以前に起きれるか?ちょっとしたコーヒーとお菓子の準備だが、出来るか?だんだん時間が近づくに連れて、不安になって来たのだ。
もちろん、断っても誰にも何も言われない。しかし、夫はすっかりそのつもりで、仕事の段取りをしているし、中止するつもりは無さそうに、パソコンに向かって呑気に(いや真剣に…苦笑)仕事をしている。
母も来る予定にしているし、前回私の理由で中止にしたので、申し訳ない。それに、もし中止にしても、私の状態が良くなる訳ではないのだ。

そこで、私は苦しみの中で祈っていた…ほとんど泣きべそ状態だったが。
すると、先週のメッセージのプリントが目についた。普段はそのプリントは、一括してどっかに置いていて(どこかは知らない・笑)、枕元にあったのは奇跡的だった。

「●イエスさまは苦難の時にも祈られました。ゲッセマネで…十字架の上で。」
「●ダビデは、自分の家族が連れ去られてしまったので、泣き疲れる程に泣いてから祈って、敵を追撃して家族を取り戻しました。」
「●苦難の時に神さまが共におられる事を信じる事が出来る人は幸いです。」

これらの先生の言葉が、目に止まったので、私は祈った。
「イエスさま。助けて下さい。」と。

その時、「Rieちゃん所に行こう!」と言う思いが浮かんだので、準備を置いてすぐに出かけた。幸いお客様が誰もおられなかったので(レボンさん、ごめんなさい)、すぐに泣きながらお祈りしてもらい、後になって詳しい事情を話した。

そこで、やっと元気を取り戻し、母を迎えに行ったり、頼まれた用事も済ませて楽しい斐川礼拝をすることが出来た。

私の場合は病気的な理由のために、大袈裟になってしまうが、誰しも「Oh,my God!」と思う程の苦難を味わう時があると思う。
そんな時に祈ってみて欲しい。時間がかかる時もあるかも知れないが、思い巡らすなら、必ずイエスさまは、助けて下さる愛なるお方だ。そして、その苦難の中にもイエスさまはいて下さるのだ。

「そのとき、イエスは(十字架の上で)言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです』。人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。(ルカ23:34)」

■ぴーちのきながな毎日■


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一日一歩?

2007.08.22(01:10) 165

20070822011020
昨日のハリキリ過ぎがたたって、今日はゆ~~~っくりしていた。

「普通に元気な人でも、調子を崩して熱中症になる位だから、あなたのような虚弱体質の人は大変だわね~」と夫が言ってくれたので、安心してゴロゴロ出来た。
ばあちゃんと私は、ほとんど変わらない???(笑)

と言う訳で、昨日張り切って買い物をした甲斐あって、今日はあるもので簡単に料理することが出来た。
パソコンに行って作業する位で、後は頭痛もあって今日は怠け者に徹する事にした。

しかしながら、寝ていると楽ではあるが、一つ困る事がある。テンションが下がって、無力感が出てくる。意欲が衰えてしまうのだ。ノミの心臓と言われる程、精神的に弱い上に、小さい頃からの繊細な心である(苦笑)。

そんな時に、いつも支えてくれる友達や夫に祈られて、今日も一日イエスさまの恵みによって生かされて、感謝だと思った。まさに「一日の苦労は、その日一日だけで十分である(マタイ6:34)」

「『山は移り、丘は動いても、
わがいつくしみはあなたから移ることなく、
平安を与えるわが契約は動くことがない』と
あなたをあなたをあわれまれる主(イエスさま)は言われる(イザヤ54:10)」

■ぴーちのきながな毎日■


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家族への愛

2007.08.20(23:42) 164

今日は調子があまり良くなかったのに、めちゃめちゃ頑張ってしまった(>_<)。

お昼から、5時間パソコンの前に座っていたのだ。本当は3時頃からガソリンを入れに行ったり、用事をして、買い物も済まそうとの計画だったが、やるべき事を、思い出して行く内に、どんどんパソコンの沼にはまってしまったらしい(苦笑)。

5時からだと、行くのも億劫になり身も心もへとへとで、後はギリギリ買い物に行くのがやっと…となった。そんな時に限っていつも簡単に済ませてしまう近くのスーパーではなく、ちょっと大きなスーパーで、20日ディーをしている事に気付いた。
普段ならば、それも無視する所だが、コーヒーの粉とインスタントコーヒーが300円値引き、あれこれ買うとかなり安い上に、ポイントが5倍。。。
普段ならば、これも無視する所だが、明後日には斐川礼拝があるので、どうせ買う予定…と言った訳で、駐車場の混んだ時間に、混んだスーパーで買い物をして帰った(T_T)。

普段ならば、ここで手抜き料理か惣菜…のはずだ(笑)。
しかし、最近食欲のないばあちゃんのためにも、好きな具沢山素麺と、にしめ…深夜勤務の息子には別に肉メニューを皿盛りに。

ばあちゃんは、昔から偏食家で一人暮らしをしていた頃には、毎日毎日インスタントラーメン(もちろん具無し)を食べ続けた前科の持ち主なので、この暑さで体重がかなり減った事もあって、心配なのだ。
夕べも夫と…。
「ばあちゃんには、最低でもあと5年は生きてもらわねば…」
「やだぁ(>_<)ばあちゃんがおらんくなったらやだよぉ~後10年は生きて欲しいよ~」(後5日で85歳になる)

息子も勤務が不規則なので、時間に食べたり食べなかったりなので、ちゃんと若者メニューを作らねば…ぁぁぁ!

あああ~!しかし、しかしである。理屈ではそうだったとしても、私の身が持たない…心が持たない。
私は思った。こんな風に毎日生きていたら、私は疲れ果ててしまう。もはや、これは家族への愛ではなくなってしまう。だから、後はイエスさまにお任せしよう。夫に話したら、無理をしないようにと言ってくれた。だから…

「イエスさま。おばあちゃんを…息子をよろしくお願いします(^O^)v」

イエスさまの助け(恵み)に寄らなければ、家族をも愛する事の出来ない私なのだ。自分の頑張りでは無理だと、つくづく思い知った今日だった。

■ぴーちのきながな毎日■


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プライド

2007.08.16(03:22) 163

今日は、母と娘にせがまれてサティに行った。

ほとんどのサティがジャスコになったのだが、松江は業績が良かったせいか?中身はジャスコだが、サティの名前は残った。

昔はショッピングがあんなに好きだったのに、今はぶらぶらするのも疲れる(*_*)。
あっ!そうだ!買う気がないからだ。今はリサイクルショップで買っているので、ショップのバーゲンでも高いと感じてしまう。
オンワードの特別ブランドバーゲンをしていたが、チェックしているのは定価。「このブランドがこの位かぁ~」もちろん、オークションの出品時の、値段設定のための調査である。お盆休みでも、働く仕事人ぴーちくんである(笑)。

同じオンワードでもブランドによって、かなり値段が違う。もちろん、当然の事ながら品質、デザイン、縫製が全く違う。素人の私にも分かる程に、ブランドの顔が違うのだ。
このような分散化が始まったのは、私の考えではユニクロのような、安価で品質もなかなか良い物を売るお店の登場以来ではないか?と思っている。

先日のワンピースのように、一桁値段が違う高級ブランドについては、私のテリトリー外なので、売れ行きの動向は分からないが、中堅ブランドは、かなり大きな変革を余儀なくされた。オンワードだけではない。どこも格安な姉妹ブランドをいくつか作ったが、成功したか?失敗したか?は、今のところ分からない。私の感想では、ブランド力が落ちた感じが否めない。

アパレル業界に例えたのだが、人生にもこのような危機的な選択をしなければならない時が、幾度かある。
ここで大切なのは、持っていなければならないプライドと、捨てなければならないプライドの選択である。何を捨てて、何を大切な物として守るか?によって人生が大きく変わって来るだろう。

私は、いらないプライドを抱えていたために、大変な苦労をするハメになった。塵のようなプライドを捨てざるを得ない経験を幾度もして来た。しかし、それはベストだったと今でも思っている。
地を這うような事も、幾度かあった。その経験によって今のしあわせな私があるのだ。そのような状況を与えて下さったイエスさまに、心から感謝している。

「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。(ピリピ2:6~8)」

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自信の危険

2007.08.14(01:22) 162

一昨日は斐伊川で、花火大会だった。

すべてに於いてインドア派の私である。まず、私の部屋のエアコンを最強にして、クローゼットの窓のカーテンを開けて、ベッドに座りながら花火鑑賞した…かなり横着(^_^;)。

当然、アウトドア派の娘は、友達と自転車で斐伊川まで行ったのは言うまでもない。長良川の花火大会には、友達と駐車場を探している間に終わってしまったと言う悲しい出来事になったらしく、今回にかける意気込みはソートーo(^-^)oだった。
毎年、三回位は花火大会に行く彼女である。私は、子供たちが小さい頃に、し・か・た・な・く!行って以来、近所の人にお任せしていた。

海にも、山にも、よく行ったが、インドア派としては辛いモノがあった。しかし、夫と話していて思い出したが、昔からそうだった訳ではなかった…ナント!結婚した年には、一夏に9回海に行った記録保持者なのだ。

夫は見かけによらず、泳ぎが得意で、二度も死に目にあっている。なぜ、死に目にあっているのに、得意だというか?と言うと、お分かりだろうが、得意でなければ遠くの島まで泳いだり、ボートが転覆して岸にたどり着いたりはしないからだ。半日泳いで、岸にたどり着いたそうだ。
私なら、浮き輪を持って泳ぐか?近場で泳ぐかだ。

自信のある人程…もしくは自信のある事程、よく祈って始めた方が良い。自分の力を過信するからだ。

明日(今日)、息子は海に行くそうだ。安全を祈っている。息子はこの夏、何回海に行っただろうか?

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星の数程の幸せ

2007.08.12(23:42) 161

帰って来ました~島根!

誰が一番に迎えてくれたか?と言うと…山陰道の宍道料金所のおじさん。
「ちーこーけんは?」
あぁ~懐かしの出雲弁である。米子道を降りた所までは、普通だったので、帰って来たと言う実感。

家に着くなり、娘が空を見上げて、あまりに星が綺麗なので感動していた。

私も感動!「星がゴミみたいにいっぱいあるよね~(☆o☆)」形容が悪いが、正に小さな粒とも呼べない程の星が、大きな星を取り巻いている。天の川だろうか?

星を見ると思い出すのが、聖書ではアブラハムが、神さまから…

「主(イエスさま)は彼を外に連れ出して言われた、『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい』。また彼に言われた、『あなたの子孫はあのようになるでしょう』。アブラハムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。(創世記15:5~6)」

と言う大切な約束を頂いた重要な箇所だ。実は彼には高齢になっても子供がなく、普通に考えたら子孫が星の数程になるなんて、不可能に近かった。
でもアブラハムがイエスさまを信じたことが、今の私たちにも、大きな祝福となっているのだが、詳しくは教会の牧師に聞いて欲しい。

そうして見ると、自分がどんな生き方をするか?によって、子孫や周りに大きな影響があると思わずにはいられない。

私に与えられた祝福(幸せ)を、周りの人たちや子供たちにバトンタッチ出来る者となりたいと思う。

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イタリア村到着

2007.08.10(01:17) 160

今、私は予定通り、岐阜の娘のアパートにいる。今日は名古屋のイタリア村に行って来た。

私はショッピングよりも、その方が海が見れてよかったので同意した。
前回、来た時にはほとんど寝ていたので、娘にとって私の元気な姿はビックリ!だった事だろう。

しかし、名古屋は遠かった…。出掛ける前に、私は迷子になる自信があったので、お祈りしてから出発した。前回同様ちょっとだけ迷った…と思った。事前に地図で調べたが、いつも詰めの甘い私たちである。
私は大体の方向で走るのが好きらしい…?「多分、名古屋はあっち!」もちろん地図で見たので、全くのでたらめではないのだが。

名古屋駅を見つけた時には「やっぱりね(^O^)v」って感じだった。「太陽がこの上にあるんだから、大丈夫!」とか「前の雲が海っぽいし」と、ここまで読んだ方は、私と一緒には旅行したくないと思われた事だろう。

ところが、やはり…やはりか…?近くになって、迷子になった!?
かと思ったところが、イタリア村の真ん前だった(笑)。だから、当然のごとくどうやって着いたのか?は知らない(笑)。
帰りは、親切な駐車場のおじさんの言いつけ(2度も復唱してくれた…ありがとう!)を忠実に守ったので、ちゃんと岐阜に帰れた。

今回も、やっぱり旅行は人生みたいなものだと教えられた。大体の道を知っていても、迷うものだ。もしくは、正しい道を進んでいても不安がよぎる。
大体、大丈夫!と思ってもどことなく不安になるのが、人間の特徴なのだ。聖書では、人間の事を羊に例えられているが、理由は明白である。性質が似ているのだ。
群がるのが好き。羊飼いがいないと迷子になる。転んだら起きれない。
そして羊飼いの中の羊飼いが、イエスさまだ。

「主(イエスさま)は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ
いこいの水のほとりに伴われます(詩篇23:1~2)」

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祈られて。

2007.08.06(22:27) 159

今日は、風邪を引いて熱があるところに、ちょっとした事があったので、ビビってしまった。

たいした事ではないとは思うのだが、普段でもノミの心臓の上に、熱があるのでダルくて気持ちも混乱した。
すぐに親友にメールしてから、私はお祈りした。と言うと信仰深いと勘違いされそうだが、そういう時には、長年の経験から、他に手だてがないと知っているからだ。

昔、病気が酷い頃は、こんな時には混乱して自暴自棄になり、逃避して家を飛び出したり、大量服薬したりした事もあったが、結局虚しい気持ちが残るだけで、何の解決にもならなかった。

祈るしかないと思い、自分の間違っているところがあれば謝り、ビビっていることをイエスさまにお話しした。
それから、下記の聖書の言葉を思い出して落ち着いて横になった。ちょうどその時に友達から電話がかかって来て、祈って下さっていたとのこと…とても感謝だった。

いつだか楫先生がお話しされたが、先生は人前で喋るのが大変苦手だったのだそうだ。
小学校の時には、あのミスをし、中学校ではあんなこと…高校でも。大学時代には最悪で、研究発表の日にナント中国からの留学生がたまたま見学に来ていて、緊張の上に更にプレッシャーで、しどろもどろ…「国連の安全保障…なんちゃら」と言うテーマで話されたのだが「こちらがしどろで…こちらがもどろ…しどろもどろ」だったそうだ。

しかし、クリスチャンになってしばらくしてから、大きなコンサート(2、3百人)で前に出て、自分がクリスチャンになった経緯について話す事になったそうだ。

どうしよう…と、昔から得意技だったカンニングペーパーを作って、当日を迎えた。すると、始まる前に周りにいた数人が「じゃ、今から楫くん(当時は牧師ではなかったので)のために祈ろう!」と言って、祈って下さったそうだ。
その時に、とても落ち着いたのでカンニングペーパーを捨てて、お話しをしたらすらすらと大衆の前にも関わらず話しが出来たそうだ。

どんな時にも、祈ってくれる友達がいるのは、本当に感謝な事だと思う。私にもそんな友達がいて、かつ祈りを聞いて下さるイエスさまに愛されている事がホントに感謝だと、改めて思わされた出来事だった。

「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた。(エレミヤ31:3)」

「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない(ヘブル13:5)」

■ぴーちのきながな毎日■


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自分を写す鏡

2007.08.05(22:25) 158

風邪を引いてしまった。と言うか、昨日から引いていたのだが、すっかり治ったと思い込んで、バタバタしたら治っていなかったらしい。

今朝、起きた時には「今日は教会休もう…」と思うくらいにだるかった。しかし、いつも朝が早いとダルい事が多いので、てっきり今日もそうだと思い込んでいた。
「思い込み」とはすごい物で、礼拝が終わった時には「私は今日はいつもよりも元気だわ」と、食事のお手伝いをしたり、少し片付けのお手伝いをしたり…。
そして、主人はすっかり母を送る気でいたのに、私が送って帰る事にしたのだ。

ところが、ホントの元気ではないので、母に用事を頼まれてショッピングセンターに入ったとたん…「うわぁ~歩くのも辛い!座っていても落ち着かない(>_<)どうしよう(x_x;)」となってしまった。
ところが、それでもまだ風邪のせいだとは思っていなかったのだ。ギリギリになってから、主人に電話して交代してもらった。

主人が、母を送って帰ってきてから「何で風邪引いてたのに、無理するかね~」と言われて始めて熱っぽい事に気づいて、この苦しみは風邪のせいだとわかった(鈍過ぎ・苦笑)。

もっと早く分かっていれば、礼拝が終わったらすぐに帰ったのに、自分の愚かさに今更ながら驚いた。

大体、普通の人は他人の事は分かりやすいが、自分の事には疎いものだ。客観的に見る事は、し難いからだろう。私もご多分に漏れず、自分の事は分からない。

先日、友達と笑ったのだが、私はある人にオークションについて「私にはこだわりはないけん。適当…適当…」と言っていたが、いざ始めてみると、こだわっている事が意外に多かった。
それを友達に話したら「ぴーちゃんは、スッゴい!こだわっておられますよぉ~」と。そこで数え上げて見ると、結構どうでも良い事も含めて、こだわりがいっぱいあったので、大笑いした。「どこが、適当適当じゃぁ~(笑)」

各のごとく、自分の事は見えないのが人間と言う者だ。では、どうやって自分を知る事が出来るだろうか?いちいち友達に聞いて見る訳には行かないし、隠れている事が全部は見えないだろう。

聖書は、人を写す鏡だと言われている。

■ぴーちのきながな毎日■


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行くべき道は…

2007.08.05(00:24) 157

寝る前には、ブックオフで買って来たリサイクルのファッション雑誌を見るのが私の楽しみだ。

ファッション業界も雑誌も、かなり先取りなので、2、3ヶ月前のでちょうど良いからだ。その中に、私好みのワンピースを見つけたので、値段とメーカーをチェックしたら151200だった。「なぁーんだ15000円かぁ~(笑)」
私はまだ老眼ではないが、一桁間違えてしまっていたらしい。勿論、15000円でも買わないが…。ブランドバックのメーカーが出しているような、いかにも高そうなワンピースではなかったので、ビックリ!した。

こうやって、ファッション雑誌の策略(失礼!)に乗って流行と言う物は作られて行く。

最近、CanCamと言う雑誌にエビちゃんと言う可愛いアイドルがいて、その人が着る服がブレイクした。
確かに、とっても可愛いのだが、誰が着ても可愛いくて似合うとも思えない。

でも、大衆心理はいつの世にもあるもので、ブームに乗って特にオークションは流れて行く。私もちょっと利益を上げさせていただいた(^^ゞ…お礼。
しかし、中には流行にはほとんど流されない、根強いファンを持つブランドもある。

洋服の流行はさておき、世の中の流れに乗って行く事が、必ずしも正しいとは限らない。
人の目には正しいと思える道は、数限りなくあるからだ。その中で何を基準に、物事の正しさや、行くべき方向を決めるか?は、よく考えてみたいところだ。

よく人生を山登りに例えて「何処から登っても、行き着くところは頂上だよ」と言う方がいるが、もし人生がウォーキングや、マラソンだったらどうだろう…。「地上は旅人」と言う言葉はあるが「地上は登山」と言う言葉はあまり聞いた事がない。

どちらの方向に行くか?で人生は、天と地ほどの違いがある。

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見い出す者が少ない。(マタイ7:13~14)」

■ぴーちのきながな毎日■


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いのちの値段

2007.08.03(00:22) 156

昨日、友達から久しぶりにメールが来た。

内容は割愛するが、最後に彼女が付け加えた話しが、私には興味深かった。
彼女のパートナーの会社の製品、3億円相当が輸送中にワイヤーが切れて、オジャン!になってしまったそうだ。
そこで、パートナーの冬のボーナスはナシ!!!と言う話しを聞いて、悪いと思いつつも彼女はつい笑ってしまったそうだ。フツーの人なら笑い事ではないだろう。「ボーナスで、○○買って欲しかったのにぃ~」などとの声が聞こえそうだ。
だが、「3億円が飛んでったぁ~…(^_^;)」と笑って言える彼女が「私は好きだなぁ~」と思ったのだ。
その会社や社員さんには悪いが、お金はまた頑張れば帰ってくる。また、3億円で潰れる会社でもない。

私が感心したのは、フィリピンで死んで行くひとりの赤ちゃんのために泣ける彼女が、3億円で笑える価値観の正しさにだ。

「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。(マルコ8:36~37)」

■ぴーちのきながな毎日■


2007年08月
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  2. 天命を待つ??(08/30)
  3. 平凡の中の非凡(08/25)
  4. 苦しい時にも…(08/23)
  5. 一日一歩?(08/22)
  6. 家族への愛(08/20)
  7. プライド(08/16)
  8. 自信の危険(08/14)
  9. 星の数程の幸せ(08/12)
  10. イタリア村到着(08/10)
  11. 祈られて。(08/06)
  12. 自分を写す鏡(08/05)
  13. 行くべき道は…(08/05)
  14. いのちの値段(08/03)
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