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■ぴーちのきながな毎日■


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価値ある選択

2007.07.30(22:28) 155

先日、よく行くブログにリンクしてあったインターネットTVをクリックした所、見覚えのある笑顔を見つけ、懐かしく昔を思い出した。

昔、当時所属していた団体のユースキャンプなどでよく会ったからだ。ただ、私は覚えているが、先方は忘れておられる事だろう。「島根」と言えば分かるかも?(マイナーだから分かるってのも悲しいかも…苦笑)

その方は牧師になっておられ、教会のチャペルの仕事やインターネットTVの仕事などもして、活躍しておられるようだった。
何より、頭はちょっと白い物がちらつくものの、昔と変わらない優しい笑顔が懐かしい。もしかして、それが地顔?(すみません。冗談です)

私の曖昧な記憶では、私が会った時には、彼は在阪の大学の大学院工学部に在籍中で、企業からも既にお呼びがかかっていて、期待されていた。
しかし、とてもイエスさまを愛しておられるのが、傍目からもにじみ出ていたので「もしかしたら牧師になられるのではないかな?」と私は予想していた。おそらく周りの誰もが、思っていた事だろう。

当時、私が老けて見えていたのと、彼が童顔だったので、かなり年下だと思っていたが、今にして思えば私よりちょっと~??下だったようだ。

簡単に「牧師になる」と言っても、イエスさまからのお呼び(召命)がかからないといけないと言う事と、優良企業からの誘いを断って、あえて貧しい?かも知れない道を選ぶと言う事は、相当の葛藤があったに違いない。
クリスチャンホームでなければ、家族の反対もある。(家の息子が牧師になる!と言ったら、違う意味での心配はあるが、喜んで送り出したい・苦笑)

しかし、私は知っている。どんな優良企業よりも、お金よりも地位よりも名声よりも(それも正しく使えば良い物だが…)、イエスさまの「私のためによく頑張ったね。ありがとう!」の言葉の価値と、喜びの大きさには比較出来ない事を…。

「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。(2テモテ4:7)」
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留学中日記紹介

2007.07.28(22:42) 154

このところ…密かにハマっているブログがある。

知らない人ではない。リンクにも紹介しているジュエリーショップのMIWAさんの「裏ブログ」…ではなく、「29歳…」あれっ?題名を忘れてしまった(苦笑)。
イギリス留学中の数々のエピソードが満載。。。外国に行くと、こんなにいろんなハプニングがあるのかぁ~と思ってしまう。だが、それはまた彼女の人柄とか、個性が引き寄せるラッキーだったりするのだろうと、私なりには判断している。

よく「人に道を聞かれる人は良い人だ」と言われるが、まさに彼女はそんな人だ。確か外国を旅行中に、自分も旅行者なのに道を聞かれた、って言う話を聞いた。 ちなみに私は、人によく道を聞くが聞かれた事はあまりない…(-_-;)。

ついでに、私の友達の彼氏は、ホームセンターでおばあさんに店員に間違えられ、1時間も!鍵の説明をして感謝されたらしい(仕事柄鍵に詳しかったので)。人柄がにじみ出ている。

MIWAさんの話に戻るが、彼女は仕事や人に対する熱意もスゴいが、文才もあるようだ。
私は留学中の出来事のブログを読みながら、時々吹き出しそうになる。それを我慢しながら読んでいるので、仕事をしていると信じて疑わない主人からは「気持ち悪いなぁ~」と言われてしまった(苦笑)。

感心のある人は、是非読んで見て欲しい。ちなみに明日は彼女の○○回目のBirthdayだそうだ。

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チョット変わった?お祈り

2007.07.26(01:07) 153

先日、まさかな…と思って娘のブログを開けてみたら…カビが生えてた…なんて落ちは無くて、驚いた事に更新してあった。

驚いたのは、そんな事ではなく、彼女の変わりように…だった。
大まかに言えば、彼女は本物のクリスチャンになっていた。勿論今までも、本物のクリスチャンには違いなかったのだが、イエスさまが遠くにおられるみたいな感じを受けた。
以前の自分の事も謙遜に見つめ、かつ前に向かって、イエスさまの恵みによって羽ばたこうとしている姿に、一瞬ビックリ!してしまった。

また、今日もメールが来て更に意識が変わったから、勉強を頑張ってるって事と、早く家に帰りたいと書いてあった。
子ども達が成長することは、誰しもとても嬉しい事だろうが、娘がクリスチャンとして成長している姿を見る事は、格別な喜びがある。

息子にはまた、息子に与えられた人生があるので、もっとビックリ!仰天!があるかもしれないと、黙って祈りながら期待している。

余談だが、先日主人と息子と3人で話していて、息子の歯の話しになった。「歯医者に行きなさい」と言ってはや3年…全く動く気配がないので、3人で笑いながら大騒ぎしていた。
そこで私は息子の後ろ姿に向かって、大声で祈った!「イエスさま!息子が歯医者に行きますように、お願いします!!」すると、次の日に、友達に行きつけの歯医者の予約を頼んでいたのだ。???

普通、いくらお祈りをするクリスチャンでも、こんなお祈りはしない。普通に歯医者に予約して行くので、誤解ないようにと願う。しかし、彼の場合はビックリしたことに、歯医者に行ったので、意味は分からないがとりあえず、イエスさまに感謝した。

また余談だが、クリスチャンではない人が、あまりにも困ったので試しに「私はクリスチャンにはなる気はないのですが、試しにちょっとお願いできましたら○○で困っていますので、叶えて下さい。ただくれぐれもクリスチャンになるつもりはございませんので、そこの所はよろしくお願いします。」と祈られたら、なんと!すぐに叶えられたので、クリスチャンになられた。と言う実例があったらしい。(注・悪事をお祈りしても叶えられません)

イエスさまはケチなお方ではない。良い人にも悪い人にも雨を降らせて下さる、懐の大きな方なのだと、改めて思った。

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満ち足りて…

2007.07.24(02:08) 152

あぁ~~~~寝た寝たぁ~って言うほどに寝た。

今日、やっと気付いたのだが、私のストレス解消法は、どうやら寝る事らしい。
なんて言うと、息子の「お母さんはどこにストレスがある?」との声が聞こえそうだが、とっても繊細な心と、か弱い体力を持ち合わせている身としては、普通の人が感じない事柄にも、ストレスを感じてしまうのだから仕方が無い。
しかし、こうして身体が疲れてくれるおかげで、ゆっくり寝る事ができるのだから感謝だ。
元気満々だったら、主人から怒りの鉄拳が飛んで来るかも知れない(苦笑)。

プチウツは、この長~~~~~い!睡眠によって、どこかに行ってしまったようだ。勿論、元気なのに寝過ぎると余計に憂鬱になるので注意。

昨日は、他の聖書の言葉を探していて、違う良い言葉を再発見した。もっとも線が引いてある位だから、以前から知っていたし、暗証聖句もしたのだが(もうほとんど忘れてしまったが・・・)、違う日に読むと、全く違って感じ取る事が出来るのが聖書の素晴らしい所だ。

「神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである(Ⅱコリント9:8)」

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変わらない愛

2007.07.22(20:05) 151

息子の2勤生活が終わり、今日はホッとして疲れが出た。

朝からプチ憂鬱気味で、母が教会に行くって言わなかったら、おやすみしよう!っと…zzzとなったかも知れない(苦笑)。我が家では、息子の次にグ~タラ!クリスチャンである。

「2勤」と言うのは夕方から出て、深夜2時頃に帰って来るので、夜行性動物のぴーちは起きている事があるのだ。

ある夜に、帰って来た息子に私は自分の事を相談してみた。普通、息子は相談し甲斐のない人なので(失礼…?)しないのだが、余程気にかかっていたのだろう。

「あのさ~お母さんね。生い立ちのせいか?分からないけど『見捨てられ不安』があって、人に対して余計な気を使ったりするにぃ~」
すると息子は…
「神さまに見捨てられんかったら良いがん!お母さんは気にし過ぎだよ。」と言った。

お~息子よ~!ホントだ!…初めてまともな事を言ったような…(冗談です)と、感心して納得した。

私は欠点も多いし、過去にも数々の悪事を働いて来たせいかも知れない。もしかして、幼児期にも何かあったのかも知れない。
でも…でも…イエスさまは見捨てられる事はなかった…だから、これからも見捨てられる事はないのだ。

毎日毎日、いろんな日がある。今日のような雨の日もあれば、晴れの日もあるし、憂鬱気味な日もあれば、イライラする日もある…失敗する時もあれば、弾けて弾け過ぎる日もある。

しかし、イエスさまが気分を変えられることはない。

「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない。(ヘブル13:8)」

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過去との決別

2007.07.19(02:17) 150

一昨日、昔からの友達とその他に二人の友達が、偶然レボンで出会って賑やかに話していた。

私はそんな中、不自然な位に喋りまくってしまった。それは、先週までの斐川礼拝の時もそうだったので、自分でも居心地が悪かった。
そこで、原因を考えて見た…いつも、お喋りじゃんか?とは違う…。異常に気を使っているのだ。

いろんな状況を考え合わせてみると、根底には「見捨てられ不安」がある気がする。
今は仲良くしているのだが、昔叱られた頃を知っている友達がいた事で「叱られるんじゃないか?」→「私はやっぱりダメだねと言われる」→「友達から外れる」→「見捨てられるのが怖い」

そんな事は、今ではあり得ないとは分かっているのに、「過去」が未だに私の心を縛っているのだ。その話しを息子にした時に、彼は言った。
「神さまから見捨てられなかったら、良いがね」

その通りだ。しかし、私はこの「過去」にした数々の現実を、きちんと受け止め、かつ今から前を新しい自分として、受け入れて歩ませていただきたいと思った。この事は言葉で言うのは簡単だが、心の深い所に原因があるので、イエスさまの恵み、愛があってこそだ。

どんな時にも、イエスさまは呼んで下さるのだから。
「愛する私の娘よ…愛する私の娘よ…」と。

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泣く声に…

2007.07.17(17:03) 149

今週の日曜日の礼拝は、いつもにも増して、とても素晴らしかった。
いや、毎週素晴らしいのだが(^^ゞ、行く前から…と言うか?まだ始まらない内から喜びと楽しみと、穏やかな気持ちだった。

実は、朝から母に用事を頼まれたのだが、一度ゆっくり考えて断った。
それは、私でなくても甥がいるので、彼に出来る用事だったからだ。母も父も、このうっとうしい天気のせいで、思わしくないのだが、私がそれを全部負う事は出来ないし、母が私に普通ではない依存心を持っているのが分かるからだ。

以前にも書いたが、これから私は母を愛する事と、依存関係を断ち切る事を同時にして行かなければならない。それは微妙な事柄なので、知恵を与えていただきながら、乗り越えて行き更には実家のみんなの祝福となって欲しいと思っている。

話しは戻るが、教会に着いた時には、既に幸せな穏やかな気分だった。私は誰にもなる必要はなく、私で良かった。心から賛美したり、メッセージを聞いたり(先生の友達の牛ちゃんの話だけ、やけに覚えている・苦笑)、笑ったり喋ったりして楽しかった。

私は本当に幸せ者だと、改めて思う。教会から何年も離れていて、もうのこのこ帰って行けるような状況ではなかった。しかし、イエスさまは私の泣く声を聞かれたのだ。イエスさまは優しい…。

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愛するチャンス

2007.07.14(02:16) 147

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うっとうしい日々が続いているのに、健康が守られている事を心から感謝する。

今までだったら、気分的にアウトだっただろう。ゆっくりだから、周りの人には分からないかもしれないが、確実に元気になって来ている。
だからと言って無理をする気はない。イエスさまも、私をよく知って下さっているので、毎日ゆっくり歩ませて下さり、いろんな事を具体的に教えて下さっている。

前回の続きになるが、翌日母からまた用事を頼まれた。父の様子を見ていてくれとの事だった。父はもう介助の必要な状況ではないが、このような雨模様が続き、かつ夜に誰もいないと不満が出て困った事を言い出すからだ。

私は用事があったのに、なぜか?直ぐに断らなかった。両親を愛する事と、両親に支配される事は違う。しかし、今回の場合はどうか?少し考えたかったので、返事を保留にしたのだ。

しばらくして、私の予定が突発的な出来事によって中止になったので、私は、我が家の食事の用意をしてから、急いで実家に向かった。
父はあちこち、痛いとか気分が悪いとか、食欲がない…などなど言っていたものの元気そうだった(食欲がない割に、好物の刺身はなくなっていたから…)。

結局、妹はすでに帰って来ていたので、妹と大切な話しをするチャンスが与えられて良かった。なぜなら、妹は改まって話しをするのが、とても嫌いだから、自然にいろんな事が話せて良かった。ホントに、イエスさまが与えて下さったとしか思えない内容と時間だった。

そして翌朝、母からお礼の電話があった。私は遅れて行った上に、ほとんど妹と話していたのだが、母には大変喜ばれてしまった(苦笑)。まぁ、父の話しを聞いて、一緒にお祈りをしたから良いかな?
イエスさまは、自分の力で頑張って(我力でやると、ろくな事がない・・・)、両親を愛するように言われているのではなく、このように愛する機会を与えて下さるのだと思った。

「神は言われた、『父と母を敬え』…(マタイ15:4)」

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人を量る量り

2007.07.12(01:06) 146

昨日は、とても大切な事を教えて頂いた。

昨日は斐川礼拝があり、母も参加して、とても楽しく過ごす事が出来た。
しかし、昨日は自分の様子が何となく変?(いつもの変なのは普通)で、終わって母を送ってから、とても不安な気持ちになった。

昨日はとっても!とっても!しゃべりまくってしまったのだ(いつも以上…)。母が話せば良い事まで、私が話してしまったり、私が話しに入らなくても良いような所で、入って話したりして、後で思えばちょっとウザイ位?だったんじゃないだろうかと思う程だった。
そこで私はとても不安になって来たのだ。「なぜだろう?」

しばらく不安感を持ちながらも、疲れていたので、食事の用意が終わってから、メールを打ちながら寝てしまった。

起きてからも、やはり不快感は変わらない。そこで、自分のこの何日間を省みて見た。その時に、ハタッと気付かされた。

この所、父の病気や母の病気、それに纏わる用事を頼まれる事が多くなった。先週も父が胴巻きになり、バタバタしていた。
しかし、母がよく教会に来るようになったので、とても嬉しかった反面、母は支配的な性格なので、自分の用事や意見を必ず!通そうとするのが、私には重荷になってしまっていた。

私は「まったく~母はアグレッシブな性格なので大変だぁ。母を愛するのは、イエスさまの愛じゃないと無理だなぁ…今度から上手に断ろうっと」などなど、母の悪い所を指摘していた。

しかしである。今日のお喋りな私は、まるで母のようであり、自分主導…まさにアグレッシブ。そんな自分が申し訳なくて、昨日の斐川礼拝の帰りにも、母にいろいろと用事を頼まれたのに、全く!苦痛とは感じなかったのだ。

自分が他人の事を悪く言う時には、自分にもそれがそっくり!帰って来る。「あなたはどうか?」を問われる。まさに昨日は、私は赤面した。
そこで私は、自分の思い上がりを認め、母を愛せるように祈った。

「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう(マタイ7:1~2)」

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言葉の神秘

2007.07.09(01:49) 145

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さっきまで、ぼ~っと物思いに耽っていた。

っていつも?なんて事はなしだ。ちょっと違う事をいろいろと考えていた。もっとも、洋服のリフォームも同時に考えていたので、いい加減と言えば、いい加減なのだが…。

最近、時々ラジオの英語教室を聞いているので、ラジオをつけてみたら、今日は日曜日だったので、その時間には「高校講座・現国」だった。
その中で「夏の花」と言う本で、広島の原爆の真中を描写した内容について解説していた。私は高校時代にはほとんど勉強していなかったし、文学にもさほど関心がなかったので、この作者も題名も知らなかったが、朗読された文章の中に引き込まれて行った。
もちろん実話である。この人類史上稀にみる、世にもおぞましい光景を作者は淡々とかつ、怒りや恐怖や不安や絶望、情などの自分の気持ちをあからさまにではなく、密かに押し殺すように表現している。
私は原爆の是非について考えたのではなく、原爆の実体…その情景が心に触れたのだ。原爆とはどう言うものか?と問われたら、作者はこう言うものだと答えただろう。

私は心に反応して、しばらく呆然となってしまったのだ。作者の心と私の心が軽く共鳴したといったイメージだ。

ところで何が言いたいか?と言えば、人は文章や言葉によって触れ合う事が出来る素晴らしい存在なのだ。だから神さまは「聖書」と言う「ラブレター」を人間に下さった。だから、私は平凡なただの人間だが、神さまの気持ちを受ける事が出来る。
夕べは、この言葉にあるイエスさまの愛に、心底から感謝と感動して一人泣いた。

「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない(ヘブル13:5)」

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苦しみの翌朝

2007.07.07(03:53) 144

この頃、とても気持ちよく目覚めるようになった。

健康な人々は、こんなに気持ちよく起きれるのか~?スゴいなと、改めて感心した。
多くの人にとっては、当たり前の事だろうと思う。だから、なかなか起きたくなくて、布団やベッドの中でごろごろするのだろう。
この当たり前の事が、先日までの私には、全く分からない別世界の事だったのだ。

朝はまずバクッと目覚め、動悸がしばらく続きバクバク…不安な気分の中で、だるくて起き上がれないか、苦しみながら、やっとで起き上がるか?…それも、そのまま寝ているのが苦しいから起きていた。最終的には「全般性不安障害」と言われた。

このような苦しみにあったから、癒されてから単純にちょっとしたことを感謝したり、感激したり、無邪気に喜ぶことが出来るようになったと思う。

出来れば人は苦しみには遭いたくない。しかし、信じて耐えるなら必ず「苦しみ」を「苦しみ」で終わらせられないお方が、真実に答えて下さる。おそらく、その苦しみを通った後は前とは違う「何か」を得ていることだろう。

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大きな愛に任せて

2007.07.05(01:42) 143

「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。(Ⅰヨハネ3:1)」

火曜日は記念すべき日だった。
私はかつて、多くの人を傷つけて来た。その話しはかつて書いたように思う。だから、私はその人々に許して貰う事は出来ないかも知れないと思っていた。
理屈では許して下さっていると思うが、心底フリーな気持ちで私と接して下さっているか?どうかは分からない。
私が悪かったのだから仕方ないと思いつつ、このような私が今はイエスさまを信じて、幸せな毎日を送らせていただけるのは、奇跡としか言いようがない。

その日は、若い頃の私を知っている友達と、久しぶりにゆっくり話しをした。過去には、いろんな事があった…いろんな事があった。と何度も言わなければならない程に、いろいろな事があったのだ。
そして、その状況の中には、今からでは「どう言う意味だったのか?」が分からない事も多い。
その中のいくつかは、今日友達と話していて真実が判明した。私は今まで生きて来て、そのいろいろな事について、考えても来たので、全部は分からないにしても、いくつかについては想像出来、予想していた。
実際、私の予想通りだった。だから、今こうして幸せな教会生活や家庭生活をさせていただけているのは、奇跡なのだ。
心からイエスさまとK先生、バルナバ(慰めの子の意)となってくれた、友達と娘、信じて祈ってくれた友達と主人に感謝する。

しかしである、情けないが私の敏感な心はダメージを受けてしまった。99%…「こうだっただろうなあ」と思っていても、想像していた時と、実際に「確定」した時とでは、気持ちが違うものだ。
しばらく経ってから、呆然としてしまった。

ただ、だからこそ更に真実なお方であるイエスさまに信頼し、お任せして楽しく生きて行こうと思った。冒頭の聖書の言葉のように、ひとかた成らぬ愛を神さまからいただいたのだから…。

■ぴーちのきながな毎日■


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人を愛する

2007.07.03(01:24) 142

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私が息子に対して、愛が足りなかったと気付いた。(息子だけではなく家族の事もだったが…)

そこで私は、彼を愛したいと祈る時に、まずは食事の用意をしたり、レンタル屋や本屋や、用事に付き合う事をした。彼の好きなアニメを付き合って見たりもした。それは、悪い事では勿論ない。しかし、私を愛してくれる友達を見て、ハタッと気付いた。
まずは彼に何かをしてあげると言うのではなく、彼自身を愛していとおしいと思う事が本当の愛なんだと気付く事が出来た。
結果的には、食事の配慮や付き合いになるのかも知れないが、方法などはないのだ。全く私は本末転倒だった。

イエスさまから来る愛しいと思う心から、愛する行動が生まれ、相手は心を許してくれるのだ。まずは始めに愛だ!

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。(Ⅰヨハネ4:10)」

■ぴーちのきながな毎日■


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幼子ような祈り

2007.07.01(10:35) 141

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ここの所、とても疲れている。

だからと言って、以前のように寝込んでいるわけではない。逆に精力的に動き回っている。今日も教会に行った後で、ヤマダ電器に行って来たし、ここ2週間くらいバタバタしている。

理由は以前に話したように、精神的な病気が良くなったからだ。なぜなら、気持ち的には良いので、動き回るのだが、長い間寝ていた身体は付いていけないから悲鳴を上げてしまう。
心はジッとしていると、いろいろな事を思いつくので、身体の事など省ず動き出してしまう。縫い物を始めたり、出かけたり、買い物、家事…そしてなぜか、ゆっくりオークション?(笑)などなどだ。

結論…気持ちと身体のバランスが崩れて疲れ果ててしまった。このバランスが取れている時に、人間は充実感を覚えるのかも知れない。

しかし、人生はそんなにうまく行く事ばかりではない。むしろ、誰しも経験的には、アンバランスな時が多いかも知れない。そんな不安定な時にこそ、イエスさまに幼子のように祈る事にしている。
「イエスさま~疲れたよぉ(>_<)。だるいよ~、眠いよ~気持ちが限界なの。」
勿論、もっと真面目に日本のために祈ったり、地域の人々のためにとか、友達や家族のために祈ったり、重要な事について祈る時もあるし、賛美しながら祈る時もある(ボチボチ・苦笑)。

本心の素直な祈りは、どんな祈りもイエスさまは聞いて下さる。感謝!(o^-^o)

■ぴーちのきながな毎日■


2007年07月
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  2. 価値ある選択(07/30)
  3. 留学中日記紹介(07/28)
  4. チョット変わった?お祈り(07/26)
  5. 満ち足りて…(07/24)
  6. 変わらない愛(07/22)
  7. 過去との決別(07/19)
  8. 泣く声に…(07/17)
  9. 愛するチャンス(07/14)
  10. 人を量る量り(07/12)
  11. 言葉の神秘(07/09)
  12. 苦しみの翌朝(07/07)
  13. 大きな愛に任せて(07/05)
  14. 人を愛する(07/03)
  15. 幼子ような祈り(07/01)
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