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■ぴーちのきながな毎日■


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人の知恵と神の知恵

2007.06.29(03:08) 140

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↑は、ご存知パキラ…。しかし、ただのパキラではない。100均のパキラなのだ!(^^ゞ

実は、このパキラを一度枯らしてしまった。私が岐阜の娘のところに行っている間、面倒をみる人が居なくて、パキラだけでなく他の観葉植物も虫の息だった。でもパキラは只の水好きではないので、適当に…ホントに適当に水をやらないと枯れてしまう。
他の観葉植物は、ほとんど水をたくさんやれば復活する。しかし、パキラだけはカパカパになって乾いているからと言って、慌てて水をジャブジャブやると、本当に腐れてサヨナラだ。一度?…何度か枯らしてしまった。

このように人間が「これは絶対に良い事」と考えてする事は必ずしも「絶対」ではないのだ。例え良心的な事だったとしても、相手を傷つけてしまうケースはたくさんある。
まして「押し付け親切」は自己満足に過ぎない。だからと言って、全ての親切な事が、悪い影響を与えるわけでもない。「必要な善意」と、「余計なお節介」を見分ける事が大切な気がする。

では、それをどうやって見分けるのか?は知恵が必要だ。知識は重要だが、知識だけでは、それを判別する事が出来ない場合がある。ケースbyケースで対応しなければならない。パキラのように…。

愚かな私には分からない…しかし「知恵のないものは、わたしに求めよ」と言われるイエスさまに、時に応じた知恵をいただいて、賢い生き方をしたい者でありたいと願う。
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内面の罪の許し

2007.06.25(02:44) 139

先日、甥の示談が成立した事によって、この交通事故は一応の解決となった。

主人と私は間に入って当事者以上の心労もあった。それは被害者に細心の配慮をしつつ、加害者の長い人生について考え合わせて対処しなければならなかったからだ。

甥は元々天真爛漫な性格で、純真な面と全体を見渡す事の出来ない若さがある。それは仕方ない事だが、これからの人生に負って行かなければならない、どうすることも出来ない過ちと共に生きて行く事になる。

一応の最後の挨拶に行った時に、義理の娘さんはいろいろな事を言われたそうだ。また、甥に対しての励ましもいただいたが、その後から帰って来られたお孫さんは、全く!一言も言われなかったらしい。このお孫さんも、亡くなられたおばあさんとは血は繋がっていなかったらしいのだが、小さい頃から可愛いがってもらわれたのだろう。娘さんとは思い入れと立場が違う。無言の中に私は、この青年の心にある本心があるように感じた。
病室でいつも付いておられたのは、お孫さん達だった。そして甥に対しても、礼儀正しく親切だった。
しかし、示談が終わり加害者が忘れる程に、被害者は忘れる事は出来ないものだと思う。被害者にとっては、示談は終わりではなく、新しい人生の始まりなのだ。

この無言の苦しみは、いつか…または、既に甥がこれから負って行かなければならない傷の始まりに思えた。だから、私は甥のために祈っている。もう罪を許してくれる人はいないのだ。自分は忘れているつもりでも、潜在意識の中には一生残るだろう。

だから、犯してしまった罪の許しは、神であるイエスさまからいただいて、新しい人生を生きて行く道しかないないのだと。

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ナイチンゲール

2007.06.20(21:39) 138

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昨日は、母と病院に行ったり、あちこちした。

その病院の文書センターの前に↑のナイチンゲールが立っている。多分どこにでもあるナイチンゲールだろうと思うが、病院に来てこれをマジマジと眺める人は少ないだろうと思う。
正面玄関の左側にドン!と立っているのにである。

私もこの病院には嫌と言う程来たし、文書センターにも何度も足を運んだのだが、彼女には気付かなかった。孤独な少女だなぁ…関係ない(-_-;)

ところで本題に入ろう。このナイチンゲールの下に文章が書いてあった。

「病院は患者を害してはならない」

エッ!!当たり前ではないか?当たり前ではないか?見間違え?…ではなかった。と言う事は、昔から今に至るまで、害してしまう事がたくさんあったって言う事だ。勿論、故意にではない例もたくさんあるのだから、誤解してはならないが…。

正式には…
「われは総ての毒あるもの害あるものを絶ち
悪しき薬をもちいることなく
また知りつつこれを人に勧めざるべし」一部抜粋

医療関係者が患者を害する事は、昔も今も多々ある。直接、医療行為を通してだったり、経済的にだったりだろうと思う。

彼女はヨーロッパでの戦争中(何戦争だったかな?クリミア戦争?)、不衛生な病院施設のために死ななくても良かった人々が、たくさん亡くなった事に憂いて施設改善に尽力した人である。上から叱られながらも、誰の「命」にも愛と祈りを持って接した。

今もあるのだろうか?昔、看護師の戴帽式の時には、ろうそくを手に「ナイチンゲール憲章」を暗証した。本来、最後の章には「患者のために祈る」があったらしいのだが、いつの頃から削除されてしまった。

患者のために祈る心があるなら、決して患者を害する事などないだろうな…と思った。

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人の深層

2007.06.18(00:21) 137

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今日は運転免許センターに来ている。↑はセンター内にある。人間の形って芸術的なんだ~と感心した。

ところで、なぜここにいるのかと言うと、先日スピード違反をしたからではない。息子の免許更新のためだ。が、なぜ?私まで着いて来ているかと言えば、更新日を遥かに越えてしまったから、運転出来ず私が連れて行く羽目になったのだ(苦笑)。
普通忘れるかぁ~??はい!息子ならあり得る…(-_-;)

ところで、教習所に通っていた時に、適性検査なるものがあった。
息子の判定は驚くなかれ「E」!!初めて見るEだ。
そのうえ、内容が最高に素晴らしかった。家族全員が大爆笑の上で納得した。
1、あなたは自己中心的で、常に自分が正しいと思いがちです。
2、注意力が散漫で、落ち着きがありません。などなど…

「この人、家の中を覗いてるんじゃない?(笑)」と言って笑った。運動神経だけが良かったのが、唯一の救いだった。

ところがである。幸いな事に、いつだかの過剰労働による「居眠り運動自爆事故」以外は無事故、無違反なのだ。速度も私より落としているし、意外に慎重な面がある。そう言えば、子どもの頃から慎重な子だった。ジャングルジムにも、そうっと登る方だった。妹の方が遥かに無謀な子どもだった。

してみると、適性検査なるものは、本当に統計であって本人を知るためには当てにならないものらしい。

最近つくづく思うのだが、人間程奥深く計り知れない者はない。知ってるつもりでも、本当につもりであって本当のところは誰にも分からない。少しのヒントを参考にして理解しようと努力するしかないと思う。
話している言葉や態度は、ほんの一部なのだから、それをその人だ!と断定せず、長い目で…また、愛を持って見て行きたいと思う。

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どんな時も決して。

2007.06.17(23:14) 136

近頃…病気が良くなって来た頃からだろうか?…私はいろいろな事を委ねるようになった。

「何かをこうしなければならない」とか「絶対こうなって欲しい」とか「こうあらねばならない」などなどの気持ちがほとんどなくなった。それは、あの前が余りに苦しかったからかも知れないと思う。

勿論、祈りや願いはある。そして、どうでもいいと思っている訳でもない。投げやりな気持ちでいるのではないが、距離もきちんと置いていてリラックスして出来る事をゆっくりしている感じだ。

以前もゆっくり生きていたのだが、どこかで誰かのように…とか、治ったらこんな事もあんな事もしよう!などと思っていた。
でも今は、本当に自分を生きていると思える。ちょっと物足りない感じのするスピードだが、そのうちまた成すべき使命(ちょっと大袈裟だが…)が与えられて、少しはスピードアップするのかも知れない。どちらにしても、いつも自分でいる事が出来るしあわせを感じている。

それは、どんな時にもどんな私をも愛して下さっているイエス様が一緒にいて下さるからだ。

「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない(ヘブル13:5)」

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食料危機?

2007.06.17(00:28) 135

昔…昔…本当にけっこう昔二十年ほど前に、将来「食料危機」が来ると聞いた事があった。

その時は、「まあ、いつか来るかもね~」と思って呑気に聞いていた。そして、それは天候不順か何かで、作物が出来なくなるか?中国あたりで人口が爆発的に増加して輸出出来なくなるか?だろうと思っていた。
確かに、その要因はこれから起こりうる大きな問題であると思う。
しかし、最近のとうもろこしをエタノールにすると言う計画は脅威的?な勢いだ。それは私の完全に想定外だった。砂糖も不足する可能性が言われているし、コーヒーも?
とうもろこしを飼料にしている家畜も不足する?すると当然更に食料が高騰するだろう。

食料危機については、まだまだ専門家レベルでは要因があるのだろうが、地球…自然とは思いもよらぬ事が起きるものだ。それに人間が手を加えると、なぜか?とんでもない事になる事が多い。

本当か?嘘かは知らないが、中東の石油の埋蔵量も実は、実際よりもかなり少なく報告してあり、まだまだ十分あると言う人もいた。
何が本当で何が嘘か分からない。

しかし、確実に言える事は罪ある人間が、どんどん地球を破壊してしまっている事だ。

本来、神さまが地球を創られた時には、人間に地球を治めるように言われたのだが、どうやら人類は自分達の知恵知識を過信してか?今のところ、台無しにしまっている。

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感謝の力

2007.06.16(00:49) 134

今年に入ってからだど思うのだが、私たち夫婦は「感謝します!」が口ぐせになった。

何がきっかけだったか?は二人とも忘れてしまった。
ただ、去年が言葉に出来ない程に素晴らしい年だったので、年末に「来年は、更に感謝の年にしよう」と言っていた覚えがある。

最初は取って付けたような言葉だったが、最近では「イエスさま感謝します…」が口ぐせになっている。
特に苦しくて苦しくてたまらなかった時に、ため息を大きくついて(実は深呼吸だったのだが…)「主よ。感謝します。」と私が言うので、息子は私が苦しいから言っていると思ったらしく「感謝します」と言うと「どうした?」と訊いた。いや、只感謝しただけだったのだが…。

不思議なことだが、感謝するって告白すると、とても落ち着いて来るのだ。始めはさほど気付かなかったが、苦しい時や焦った時、どうしようもないと思う時に「感謝します」と言うと、とても落ち着いて、冷静さを取り戻すことが出来る。
昔「賛美の力」と言う本を読んだ事があったが、本当にその通りだと実感した。

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きっと大丈夫!

2007.06.15(00:17) 133

人間の中にどうしようもなく染み付いている思いは「ちゃんと出来たらOK!だけど失敗したらダメな奴だ(-_-#)」と言う思いだと思う。

私たちは、そのように育てられて来たし、学校も会社も家庭も社会全体が、その価値観で心を占領してしまっているからだ。
しかし、実際、本当にダメだと断言出来る程に悪い事は、実社会では少ない。果たして絶対に!絶対に!絶対に!ダメな事は、どれくらいあるだろうか?

私が昔住んでいた町営住宅の階下の人は、家族の事業の保証人になって、大変な暮らしを強いられた。自動車保険も毎月滞納ばかりで、私たちもどうしてあげていいかわからなかった。
しかし、裁判所に相談した結果、債務をかなり長い分割をする手続きをされて、二人で三人の子どもを育てながら、コツコツ借金を返して来られた。そして遂に長年の夢だった家を建てられたのには驚いた。その人たちはクリスチャンではなかったが、人間諦めなきゃ何とかなるものなんだなぁと思った。

絶対絶命のように思っても、それは只自分の判断であり絶対ではないのだ。
そして本当に絶対絶命だと思う事があったら、イエスさまの元に来てみて欲しい。人間の知恵を遥かに越えたイエスさまのところには、素晴らしいアイデアが満ちているのだから。

「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。(エレミヤ33:3)」

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じゅうたんの裏側

2007.06.14(00:10) 132

近頃、昔意味がわからなくて苦しんでいた事の意味が少しづつ紐解けて来ているような気がする。
「なぜ?叱られたのか?」「つじつまが合わない」「どう理解して、自分の中に治めていいか分からない」

そんな事だらけだった。だから、叱って下さった方を恨んだりにくんだりしてしまった。勿論、今でも理解出来ない事はたくさんある。しかし、ひとつひとつ少しだけど分からせていただいている。私を叱って下さった方にはもう会う事はないと思うので、尋ねる事は出来ないが、友達との会話の中で悟らせていただけるようになった。

あの時、あの場面で叱られたのは、おそらくこんな深い意味があったのではないか?…そして、それは私には理解できなかったけれど、的を得た大切な事だったのではないか?と気づかされた。
私が見ていたのは、絨毯の裏側の解れた部分だけで、本当はひっくり返したら、ちゃんと綺麗に見えるようにして下さっていたのではないか?思うようになったのだ。

そして、その先生がよくおっしゃっていた言葉は…。

「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」(ヨハネ13:7)

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「ありがとう」の恵み

2007.06.13(00:43) 131

この所、元気満々で毎日のようにレボンに出勤したり、オークションの画像を撮ったり、バタバタしている。

数年前に妹が入院した時には、手術の日にしか行けなかった事を思えば、今はとっても!元気だと言える。
最後まで私が元気になった事に気付かなかった息子でさえ、「うん、元気になったね~」と認めざるを得ないくらいに、明るく元気だ。
息子が最後まで気付かなかったのは、勤務の関係であまり会わなかったからだ。
でも、今日言われた…。
「母さん!夜中にあんなに大きな声で歌を歌わんでよ~(>_<)」
私は深夜?いえいえ夜中に賛美を歌うのが楽しみなのだ。苦しかった頃には、歌など別世界の物のように感じた。なぜなら、私が苦しかった時に階下で聞こえるばあちゃんの歌う童謡を「うぅ~苦しい~ばあちゃんが元気なのは感謝だけど、うるさいよ~」と思ったからだ。
理屈では分かっている。ばあちゃんが歌が歌える程に元気なのは有り難い事だと…。でも、私はそれどころではないのだ。

そんな私が、息子に文句を言われる程に賛美を歌える事に、しあわせを感じる。

みんな、どんな事でも「当たり前」の事などないのだ。とかく最近では「権利」を当然のように主張する風潮にあるように思う。勿論、当然の権利もあるのだが、義務との兼ね合いを考えながら、権利に対しても当然の事に対しても感謝の気持ちを持ちたいものだと思う。

「ありがとう!」

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最期の日

2007.06.12(22:58) 130

人は自然に「自分だけは死なない」とか「自分だけは不治の病にはならない」と思い込んでいる事が多い。
特に若い時には、尚更だろうと思う。

私がこの話しを初めて聞いたのは、アリスのライヴのレコードだった(あまりに古い~)ように思う。その時、谷村さんは確かこう言っていた。
「人は自分だけは死なないとか、自分だけは年を取らないとか思ってしまいますね。でも、いつかそう言う時が誰にも来ます。『♪老人』聞いて下さい。」

確かに、誰しもいつか知る事になるのだ。
「元気で健康だったのが特別で、恵まれていたのだ」と。なぜなら、全ての人がいずれ、病なり死なりに直面しなければならない時が来るのだから。

私が自分の病気や死について、真剣に考えるようになったのは、36才の時だった。
私がなぜ?はっきり、その時を覚えているのは、精神的な病気になった歳だからからだ。私にもいつか終わりが来る…病気になる可能性だってあるんだと真面目に考えた。怖いと言うよりは、覚悟をしなければならないと感じた。

最近、私は日記にも書いているように、『死』について悲しみを持って考え、祈っている。
「みんな!死なないで欲しい。死ぬ時はイエスさまの懐に抱かれて安らかに天国に行く日であって欲しい!」と強く願う。

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それぞれの人生

2007.06.11(01:36) 129

娘を見送った。

もう私は泣かない。なぜなら、彼女はもう自分の足で歩き初めているのだと分かったからだ。
大学生活の勉強とバレーボール…教会生活…バイト…。彼女には彼女の新しい生活があって、新しい未来に向かって歩んでいると知る事が出来たから、私も泣いている場合ではない。
私は私で、今生かされている時に大切な事を祈って行こうと思った。

何から初めていいか?はまだ分からないが、自分に与えられた使命があるのなら、精一杯生きて行きたい。

精神的な病気をした人に多いように感じるのだが、だんだんと良くなって行ったり、治って来ると「特別な事をやらなくてはならない。」と思い込みを持つ人が多いように思う。
今まで自分自身も含めて認められなかった分を、何かで埋め合わせをしなければ、今までの病気だった時間やお金や人生が無駄になってしまうと勘違いをしている人が多い気がする。

元気になっても、治っても、調子が良くなっても本質的には「何もできなかった時と同じで良いんだ」と思う。
勿論、収入は必要だし、生き甲斐も大事な事だが、まずは「元気良く!楽しそうに生きている、あなたが素晴らしい!」

そこからスタートして、自分らしい新しい生き方を模索してみて欲しいと思う。

私たちを創られたお方は、一人一人に最善の人生を用意して下さっている。

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家長(娘の帰省)

2007.06.10(01:14) 128

昨日の朝、娘が帰って来た。

母のお見舞いのために、強行スケジュールで帰った。夜勤明けの息子が自分から迎えに行くと言って出かけた。何気に二人は仲が良い。それは昔からだった。普通は男女の兄弟はあまり話さないとか、一緒に遊ばないのが普通なのに、彼らは年をとっても仲が良い。

そして相変わらず、私は娘に振り回される事になったのだが、以前とは違う。私は元気o(^-^)oなのだから…。
お昼寝はしたものの、あちこちしたりパソコンでCDを買ったり、ZARDの追悼コンサートをしたり…などなど忙しく過ごした。

ばあちゃんとは、地元で有名な蕎麦屋で食べて、病院では病院内の喫茶店でデザートを食べて(同室の知らないおばあちゃんにおごってもらった…)、病室ではお見舞いにもらった品々を食べて…家ではまたまた普通に食べて。。。(-_-;

それから、私の作ったお気に入りのベッドルームで音楽♪を聞きながら寝ている。

母は順調に回復して、何としても娘のところに遊びに行くゾ!と張り切っている。

家族と言うものはナカナカ良い物だと私に教えてくれたのは、彼らだった。おばあちゃんであり、夫であり、彼ら子ども達だった。

実家になじまなかった私に、家庭をプレゼントして下さった神さまに感謝する。家の家庭の家長はイエスさまなのだから。

■ぴーちのきながな毎日■


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ひとりの時間

2007.06.09(23:47) 127

先日からマイルームを作っている。

元々あった部屋だが誰の物でもなかったので、エアコンの季節を前に(主人の部屋にはエアコンがないので…)、私がインテリアを変えて自分の部屋にした。
息子が高校の時にバイトして買ったベッドを5000円で買って(我が家は親子でも売買契約がある・笑)、カーテンをベージュに薄いピンク系の花柄に変え、娘が置いてった台の上に花柄のタッチライトを置いて、椅子の上にCDラジカセと薬と聖書と携帯。

「キャーo(≧∇≦o)ホテルみたい!」と大騒ぎして感動している。
壊れたドラムもあるのだが、まあ邪魔にはならないので置いてある。

この部屋に引っ越して来て、一ヶ月くらいになるが、一番良かった事は意外にも一人になる時間だった。主人とは寝る前まで喋りまくっているが(今日の話題は、中国貿易における港の重要性について・笑)、寝る前の一時は、やはりイエスさまとの祈りが一番落ち着いて大事な時間だった。
そのひとときに「心の整理」も出来るし「賛美」したり「本心の気持ち」を注ぎ出す事が出来る。

どんなに忙しい方も、忙しいからこそ静まる時間を大切にして欲しいと思う。

なぜなら、忙しいと言って何も生き方について考えないならば、一瞬の間に人生が終わってしまうからだ。

■ぴーちのきながな毎日■


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さよならZARD…

2007.06.08(01:28) 126

ZARDが亡くなって、しばらく経った。

私はほとんどテレビを見ないので、どういう事が起きたのか?私には分からない。

私は、おそらくZARDが、ヒット曲を出した少し後で、ファンになったのではないかな?と思う。きっかけはヒィールドオブビューの「DANDAN心ひらかれてく」(ドラゴンボール主題歌)から、まずはヒィールドオブビューのファンになり、その曲を作っていたZARDのファンになった。

当時、音楽に飢えていた私はバックナンバーもほとんど集めて、毎日聞いていた。私は一度ハマると、当分の間ずっと昼も夜も…車でも家事をしていても、寝る前はヘッドフォンでも聴く。と言うくらいの入れ込みようだった。

ZARDは私の音楽の始まりだった。教会のゴスペルしか聞かなかった私には、新しい風だったのだ。

今となっては彼女の「負けないで」が悲し過ぎる。人間には、勝ち続ける事が出来ない。いつか「死」が全てを奪い去ってしまうのだから。作品は残る…確かに私たち平凡な人よりも、何かを残す事が出来るかもしれない。しかし…しかし…彼女はいない…。

今度の教会のフェスティバルで「負けないで」が演奏されるので、貸し出すためにCDを探し出して、聞きながら今、この日記を書いている。
私は最近、先日までの苦しみがひどかったので、いつ天国に行っても後悔しないような生き方をしようと思うようになった。ZARDは心残りだったんだろうな。

ZARD…坂井泉…「さよなら。」

■ぴーちのきながな毎日■


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あなたは高価で尊い

2007.06.06(22:07) 125

昨日、母はペースメーカーの手術を終えた。

母は私と一緒で、見かけは明るく強くたくましく?見えるが、見えるだけだ(笑)。
心臓の病気だと分かった時点で、病気になった。。。

人間とは、不思議なものだ。診断される以前から既に病気だったはずなのに、元気ハツラツo(^-^)oだったのだが、診断を受けてから急に「気分が悪い…」と言い出した。
その、あまりの変わり様に甥が「おばあさんは極端だねぇ」と言っていたらしい。
私と妹は、母のそんな弱さを知っていたので、手術前に看護師さんに「見た目と顔は大きいんですが、心臓はノミの心臓なんで象の心臓に変えてやって下さい」と言って笑わせた。看護師さんも「お母さん、あんなこと言われてますよ(笑)。わかりました。心臓に毛を生えさせましょうか?」
と、リラックスさせて下さった。

母に限らず、人間と言う者は自分自身の信じた通りの行動を取る生き物だ。
だから、最近セルフイメージの向上が重要視されているが、根拠もなく人間は自分のイメージを引き上げる事は難しいと私は思っている。
何度も「自分は素晴らしい世界にただ一人の大切な存在だ!」と叫んでも、人間はどこかで、本当にそうか?って思っている。もちろん、人は言葉に支配される者だから、言わないよりも言った方が良い。

しかし、本当に本心からそう信じてそう思うには、自分を納得させるだけの根拠が必要だ。
だから聞こう。私たちを創り命をかけて愛して下さっている方の言葉…。

「あなたは私の目には高価で尊い(聖書)」

■ぴーちのきながな毎日■


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アニメ鑑賞

2007.06.05(21:35) 124

最近、息子に薦められて…と言うか?限りなく強制に近い…「コードギアス反逆のルルーシュ」と言うアニメを見ている。

最初の設定はガンダムSEEDにとてもよく似ているが、中身はかなり違う…らしい(全部観ていないので)。

それぞれの人たちが、愛する人たちを守るために戦う。
守るために戦うのに、実際は多くの犠牲者を出してしまうと言う矛盾に苦しみながら、親友同士が戦う話だ。
がっ!まだ全部観ていないので、もっと深い話のようだ。人種差別や野望などなど、現実さながらの設定なので、大人の鑑賞にも耐えれると思う。

アメリカの映画に多い「正義は必ず勝つ」的な物でもないようだ。第一、人間の作り出した「正義」とはなんだろうか?正しくあり得ない人間が、追求する正義に矛盾があるのは当然だろうと思う。
それも、アニメの中でも問うているし、最後に何らかの作者の意図が、あると思われる。

神を信じる私としては、正義=イエスさま。イエスさま=愛。剣を取るものは剣で滅びる…と言われたイエスさまが世の中に勝たれた方法は、十字架の愛だった。

■ぴーちのきながな毎日■


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母に…

2007.06.04(04:46) 123

母は小さい頃、天真爛漫な子どもだったろうと思う。
なぜなら大人になった今でも、子ども達と対等にゲームして遊ぶ。
付き合っているのではない。真剣に楽しんでいるのだから…。
もう少し孫達が小さいときには、よくゲーセンにも行っていた。私は運転手役で、待たされて苦しかった位だったが、母は一緒に遊んでいた。そしてコインを一番たくさん貯めるのも母だった。

母の結婚生活は決して幸せとは言えなかった。父とのいざこざが絶えなかった。今、娘の立場からはどちらがどうとも言えないが…。
その上、簸川平野の田んぼ仕事…木が生えていないので、宍道湖まで漂流木を集めに行ったらしい。妹を背負い私の手を引いて…。
その後に、母は吐血した。何としても治りたい!と思っていたらしい。小さい子ども達を残しての入院だったからだ。

私が大人になって、母に「なぜ離婚しなかったか?」を聞いた事がある。
「子どもが可愛かったからだわね…」
当時、どこの家庭もそうだったのだろうが、母には経済力がなかったから、離婚=子どもとの離別だったのだ。

私もそれは分かっていた。だから、私は両親が喧嘩をすると「捨てられるんじゃないか」と子どもながらに怖かった。
でも、母は情的な人だった。今でも口うるさい割りに、いつも優しい配慮をしてくれる。

母は先々週までは、隠岐の島にフォークダンスの発表会に行く程に元気だった。今も元気なのだが、心臓の病気が見つかり、明後日ペースメーカーをつける手術をする事になった。

私はいま、心から母に感謝する…そして、今まで以上に元気になって踊って欲しい。私は母が大好きだ。

■ぴーちのきながな毎日■


2007年06月
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  2. 人の知恵と神の知恵(06/29)
  3. 内面の罪の許し(06/25)
  4. ナイチンゲール(06/20)
  5. 人の深層(06/18)
  6. どんな時も決して。(06/17)
  7. 食料危機?(06/17)
  8. 感謝の力(06/16)
  9. きっと大丈夫!(06/15)
  10. じゅうたんの裏側(06/14)
  11. 「ありがとう」の恵み(06/13)
  12. 最期の日(06/12)
  13. それぞれの人生(06/11)
  14. 家長(娘の帰省)(06/10)
  15. ひとりの時間(06/09)
  16. さよならZARD…(06/08)
  17. あなたは高価で尊い(06/06)
  18. アニメ鑑賞(06/05)
  19. 母に…(06/04)
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