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■ぴーちのきながな毎日■


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ある保育士の死

2007.05.28(23:22) 122

先日、母を乗せて走っていた時に母がしきりに辺りを見回して「この辺で52才の人が亡くなられたにぃ~」と言っていた。

私はさして気にも留めずにいたのだが、この前、息子の同級生のお母さんと話していたら、その人が娘の保育所時代の先生だってわかりショックを受けた。卵巣癌の末期だったそうだ。

娘はほとんど覚えていないらしいが、甘えん坊だったので、とても優しくしていただいた時の笑顔だけが目に残った。

そんな風に亡くなる方はたくさんいらっしゃるだろうと思う。しかし、イエスさまを知らないで亡くなられる人は、どんなに悲しく孤独だっただろう。怖くて不安だっただろうと思うと、悲しくてたまらない思いになった。

誰もイエスさまの愛を知らなかった。十字架の恵みを知らなかった。
悲しくてならない。私も卒園以来会った事はなかったのでいつもなら、気にも留めなかっただろうと思う。

しかし、私はこの出来事を通して、この私の人生の中で、微力ながら恵みの力と愛によって、使命に生かされたいと強く願った。
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愛に…。

2007.05.27(23:49) 121

私にとって小さい頃から、「生きる」とか「死ぬ」とかが隣合わせだったのは、病気を持っている子どもならまだしも普通の子どもとしては変わっていたのかも知れない。

生命力が弱かった…だからいつも強がっていた。世間が怖かった…大人が怖かった。大きな音が怖かった…雷と犬が怖かった。
私にとっては回りの些細な事が恐怖だったのだ。その反動でか?とても強がってリーダーシップを取るような目立ちたがり屋だった。

そのギャップが後に私の精神状態を狂わせる1つの要因になったのかも知れないと思う。

今、精神的な苦しみから解放されて「残された人生をどう生きるか?」を考え始めている。おそらく普通の平凡な人生では、生きて行けないだろうと思う。いろんな楽しみもわがままも悪事?もそこそこ経験した。
そこには一時的な満足や快楽しかなかった。

私はイエスさまを心から賛美し礼拝し、その愛に感謝しつつ生きる以上の幸せを知らない。

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生かされている意味

2007.05.26(00:47) 120

この一ヶ月、苦しみの中であえぎつつ生きていたので、今はちょっとした放心状態のようだ。

普通に友達や知人と話しているのだが、「意欲」「欲望」…などの強い思いがない。
でも、焦ってもいない。イエスさまが与えて下さった命だから、生かされている内は使命が与えられるだろうと思う。
少し前までは、誰かに認められたいと思っていた。しかし、見上げるお方に目を留めて自分なりの人生を生きる事が出来れば本望だと思うようになったようだ。
人の評価、世間の評価、自己満足…みんな小さい事に思えてならない。

私に新しい使命が与えられたなら、そのために残された人生を生きたい。

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世界でたった一つだけの花?

2007.05.25(03:44) 119

以前ヒットして私も好きだったのだが、最近ふとした事からこの歌に疑問を持つようになった。
恐らく先日までの苦しみのせいだったと思う。私はキムタクのファンだし、槙原敬之にも何の恨みもない。

花屋の店先に並んだお花は、No.1ではなくてオンリー1だって歌だ。私も素敵な歌だと思って聞いていたのだ。が!苦しみの中にいる時に、ハタと気付いた…
「花屋の店先に並んでいる時点で、もうすでに選ばれた花たちなんだ!」と。

ひねくれた人だと思われるかもしれない。でも事実花屋さんが仕入れた時点で、優秀な花たちなので買われて行ったはずだ。残った花は?

まして人目に触れる事のない花たちは?
オンリーワンではないのか?
私は思う。一生誰の目にも留まらず、愛されることもなく、賞賛を受けなかった多くの花たちには神さまからの特別な賞賛が与えられることを…。

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何をして欲しいのか?

2007.05.24(01:02) 118

私はここに忘れないように記録しておこうと思う。

素晴らしい事をイエスさまはして下さった。しかし、言葉にするとうすっぺらになりそうだし、また年月が経つと記憶が薄れてしまうからだ。

私はここにも書いていたように、とても苦しい精神状態だった。イエスさまを信じていなかった頃なら、逃げ出そうとしたに違いない。事実、娘の所に行ったのも「ちょっとでも、気分転換になって楽になるかもしれない」と言う思いもあったのだが、それは娘に迷惑をかけたたけで無残にも打ち砕かれた。

家に帰ってからも苦しい日々は続いた。私はいったい自分がどうなっているのか?さえも掴めなかった。寝起きに来る不安と恐怖…無気力。私は生かされていると分かっていても、意味が掴めなかった。毎日、寝ているだけで何か意味があるのか?…一つだけ、理解出来るとすれば「苦しみにあっている人の気持ちが少しは分かるかもしれない」程度だった。

ところが、ある夜友達と話していた時、(それは真面目な話しと言うよりは、トイレから出た時だった)突然、言いたくてたまらない言葉があった。
「私!元気になりたいです!」だった。友達は「はい!」と言って一緒に泣きながら祈ってくれた。私も泣いた。それは私の心底の叫びだったからだ。もちろん、それまでも治りたかった。
しかし、私の中にまだ甘さがあったように思う。元気になったら、あれやこれやしなければならないかもしれない。主人はまた要求するかもしれない。今の病気の生活は、楽な面もある。だから、心底から治ったら生活が変わるかもしれない…と言う恐れを抱いていた。
しかし、今回の苦しみは限界を超えていたので、そんな甘い考えは飛んで行った。
イエスさまはいわれた。
「わたしに何をして欲しいのか」
わたしは「元気になりたいです」と言った。

それから一週間、私には不安も恐怖もなく、毎日レボンに出勤している(勝手に)。
イエスさまは私の心の深い所も知って、愛して下さっていると心から感謝している。ハレルヤ!

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苦しみの果てに

2007.05.18(01:29) 117

空にある北斗七星を見上げて「美しい」と思える

友の入れた一杯の紅茶の香りに「美味しい」と思える

友や家族と語らい、笑い「楽しい」と思える

教会での賛美歌に心から感謝を覚えて涙する

ああ、こんな日常の些細な風景に幸せだと思えるのも

キリストの十字架の恵みに感動出来る私になれたのも

この筆舌し難いほどの「苦しみ」のお陰なのだ

その日、私は静かに私の愛する主に言おう

「私が苦しみに合ったことは幸いでした」と…

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さあ!帰ろう!o(^-^)o

2007.05.08(02:41) 116

今日、島根に帰る事に決めた。

本当は娘のアパートの関係で後2、3日いなければならない状況だったが、私の調子が悪いので、それは彼女に任せて早めに帰る事に決めた。
昨日までかなり苦しかったが、日曜日には娘がお世話になっている教会「クリスチャンライフ」に名古屋まで行って来た。素晴らしい明るい教会だった。しかし娘はいつも、朝の英語礼拝~三部礼拝~ジュニア礼拝までいるので、私の体力エネルギーが持たなかった(T_T)
「そろそろ帰りたいな」って思っても、そう簡単には帰れない…遠い…(-_-;)
彼女は教会に行くのも好きだし、道中のバスや電車も好きらしい。旅行してるみたいで好きだそうだ。私は平田の教会でつくづく良かった~(^O^)っと思った。

夕べはいろんな事を話した。今の生活…将来の夢…などなどを、日本地図や世界地図を広げて、まるで世界史の授業を受けているように楽しそうに話していた。
若い時には、みな生命力に満ちている。しかし、ある程度の年齢になると腰が重たくなるのは人の常だ。
私には私なりに生かされている意味があると思っているのだが、そのエネルギーと時間とお金を効率よく使う事が大切なんだなと気付かされた。

今回、早めに帰る事になったきっかけは、娘との会話の中で分かった。娘が私に訊いた…。
「お母さんは何をしてる時が一番楽しい?」
「うーん、Rieちゃんと話してる時~(^-^)v」
「だったら、Rieちゃんのいないここはつまらないでしょう?帰った方が良いんじゃない?」
「うん、帰りたい。」
って事で…(^^ゞ

私はショッピングもファッションも好きだが、今はそれよりももっと好きな事が出来た。

イエスさまを愛している最高の友達と一緒に、愛する土地でイエスさまの話しをする事。主人も息子もばあちゃんも待っている。

「さあ!帰ろう!」

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確信をもって

2007.05.04(02:28) 115

一昨日、とっても!張り切ったので昨日は休憩…。殆ど寝て過ごした(苦笑)。

一昨日は郵便局や銀行や、あちこちしたからだ。そして娘を迎えに(これは口実?)モレラと言うお~おお型ショッピングセンターに行って来た。
この辺は不思議な所だ。モレラにしても、リバーサイドモール、マーサ21にしても恐ろしく!田舎にあるのだ。地図を見て確かめて行くのだが、必ず!迷ってしまう。元々方向音痴ではないと自負していたが、この辺りでは通用しないのには理由がある。
行き先のショッピングセンターの巨大さに比較して、行くまでの道があまりにもド田舎過ぎて「心配になる」からだ。

車を走らせると、だんだんと道が狭くなって来る。そして、両脇にお店も家もなくなって遂に畑と果樹園、ビニールハウスに…。前方には山が近づいて来て…遂には地図を見て来たと言う確信は失せて…
「さすがに、こんな寂しい所にそんなデカクて有名な大型ショッピングセンターがあるはずはない(これが先入観)。あるなら、そろそろ見えるだろうし…道を間違えてしまったに違いない。この辺で曲がろう。」と、この不安が迷子になる原因だと分かった。

ましてや人生の寂しい所を通っている時には、誰しもとても不安になるものだ。明るい未来に向かっているのか?そのまま山に入ってしまうのか?誰にも分からない。ストレーシープと言う言葉を聞かれた事があるだろうか?イエスさまから離れた人間は聖書では「迷える子羊」と呼ばれている。だから小さい頃から、いつも私は怖かった。

イエスさまと一緒に、聖書と言う地図を持って「不安になる」と言う誘惑に負けないで、自分に与えられた人生を迷わずに、確信をもって生きて行きたいと思う。

■ぴーちのきながな毎日■


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ゴールデンウィーク

2007.05.02(07:30) 114

急きょ、一昨日の深夜出発して昨日、岐阜に着いた。

よって今、岐阜にいる。先週あんなに調子が悪かったのに、よく行く気になったと今だに不思議な感じだ。
「何か楽しい事をする時には動けますか?」といつだか精神科の先生に訊かれた事があったが、本当に辛い時には、どのような楽しい事も、美味しいものも「石」にしか見えない。

でも昨日は雨が降っていたので、昼間には寝て夜は娘を迎えに学校に行ったり、食事に出かけたり出来た。
どうやらこの辺りは、山陰に比べたら湿気が少ないようだ。島根ならこんな雨の日なら、湿気でウッ(*_*;)!って感じだ。

最初から岐阜には来る予定だったが、先週の状態からすれば「よく来たものだ」と思う。その前に「よく行く気になったな~」と思う。でも、なんとなく「行こ…」と車に乗ってマイペースで運転して来た(マイペースは当然!私のペースだ・笑)。来週の火曜日までは滞在する予定…。

なんとなく来たので、何か?ここに来た意味があるのではないか?と期待している。人生には楽しみ喜び、苦しみ辛さ…何事にも無意味な事はないと思っているからだ。
ただ、どんなアイスクリームを食べたか?とか、夕べ特製黒ゴマ味噌ラーメンを食べたか?などには深い意味はないので、気にしないで欲しい(笑)

■ぴーちのきながな毎日■


2007年05月
  1. スポンサーサイト(--/--)
  2. ある保育士の死(05/28)
  3. 愛に…。(05/27)
  4. 生かされている意味(05/26)
  5. 世界でたった一つだけの花?(05/25)
  6. 何をして欲しいのか?(05/24)
  7. 苦しみの果てに(05/18)
  8. さあ!帰ろう!o(^-^)o(05/08)
  9. 確信をもって(05/04)
  10. ゴールデンウィーク(05/02)
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